じいちゃんばあちゃんから聞いた戦時中の話

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1341134406/

senji

2:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:24:21.44ID:37uIRd7AO
まず自分が聞いた話
じいちゃんはもう死んじゃったのでばあちゃんからぽつぽつ聞いた話ですが




4:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:26:29.12ID:37uIRd7AO
うちのじいちゃんは太平洋戦争で負けてシベリアで捕虜になってた
ソ連に連れてかれる車の中で、ほとんどの日本兵は自殺したんだって
自殺の方法は二つ、舌を噛みきるか金たまをボコボコに殴るか




7:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:29:58.94ID:37uIRd7AO
死んでいくときはみんな「天皇陛下万歳!!!」って言って死んでいったらしい
ほとんどの人がそうやって死んでく中じいちゃんは「なにおう死んでたまるか」って気持ちでいたらしい
戦争中は銃弾が左足を掠めたもののそれ以外大きな怪我もなく、せっかく生き延びた命を無駄にしたくなかったみたい




29:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:30:10.26ID:37uIRd7AO
>>7訂正するわ
死ぬときはみんな「天皇陛下万歳」か「お母さん」だったって言ってた…みんな同じなんだな
でも「お母さん」だと悲しさ倍増…



10:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:33:12.44ID:37uIRd7AO
シベリアでの生活はきつかったらしい
一日にほんのひとかけらのパンを与えられて土地を耕したり云々
時に極寒の屋外で正座させられてその太ももの上にレンガとか乗せられてた
そのせいで手足の先を凍傷で失う人も結構いたみたい

(シベリアよくりゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)でソ連軍が侵攻・占領した満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)において、終戦後武装解除し投降した日本軍捕虜及びソ連軍が逮捕した日本人(民間人、当時日本国籍者であった朝鮮人などを含む)らを、ソ連が主にシベリアやモンゴルに労働力として移送隔離し、多数の人的被害を被らせた枢軸国側人の抑留と奴隷的強制労働に対する日本側の呼称。

一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在で言うモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国などソ連の勢力圏全域に送り込まれていた。

厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言、レーニンの共産主義思想にさえ背いた国家的行為であった。ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明した。



11:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:36:35.76ID:37uIRd7AO
捕虜生活が終わってようやく日本に帰ってきたとき、駅には帰ってきた兵士たちを迎えに行く家族たちでごったがえし
あちこちで再会を喜ぶ声が聞こえるなか、じいちゃんの家族はじいちゃんをなかなか見つけることができなかった
数年間の労働でじいちゃんは文字通り骨と皮みたいになってたらしい
ようやくじいちゃんを見つけることができたじいちゃんの母ちゃんは泣き崩れた




12:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:43:19.96ID:37uIRd7AO
自分がばあちゃんから聞いた話はこんなもん
じいちゃんから聞いたことはなかった
余談なんだがうちに形のいびつな大きめのスプーンがあって、持ち手にはなんか下手くそな鳥と花の模様が彫ってあったのよ
実はそれはじいちゃんがシベリアの労働中に作って持ち帰ってきたスプーンだったらしい
うちじゃそれをポテトサラダを盛る用のスプーンとして重宝していたのだが…

大した話じゃなくて申し訳ない
他誰かいたら教えてくだしぁ
シリーズ証言記録 兵士たちの戦争 ガダルカナル 繰り返された白兵突撃 [DVD]




13:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:44:48.51ID:37uIRd7AO
あー、あと結構衝撃だったのは、戦時中はたいていの虫なら食べたんよ、って言葉かな




9:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:32:36.05ID:myN/auao0
海軍でソロモンに行ってたって聞いたことあるがもう亡くなった
中尉で大砲の発射の号令?なんかしてたんだとさ
なかなか命中しなかったらしいw
ガキの頃だったから殆ど聞いてなかったが今となっては詳しい話しを聞きたいぐらいだ




15: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/07/01(日) 18:47:14.96ID:GPadw1szP
うちのじーさんはあんま語らんかったな
戦争は良くないとだけ言ってた




17:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:47:37.80ID:R9RhKy1o0
じいちゃんに朝鮮行った話とかばあちゃんに防空壕に入ったら爆弾落ちてきて内臓が飛び出るくらいの衝撃だったとかなら聞いたことある
天皇陛下を敬う紙も見せてもらったことあるな




18:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:53:27.66ID:37uIRd7AO
ばあちゃんに聞いた話思い出した
日本が負けていよいよマッカーサーがやってくるアメリカ人が日本にやってくる、て時
アメリカ人は赤い色が好きだから赤い服は着るな、レ○プされるぞ、て言われていたらしい
おかしな話だが当時の人はまじめに紺とか黒とかの地味な服を選んで着ていたらしい




20:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:56:30.08ID:x4UawJYT0
俺のじいちゃんもシベリアに捕虜として行ってた。
じいちゃんは、最初は土地を耕すような仕事をしてたんだけど
働きっぷりがすごいから耕す仕事じゃなくて
暖房のきいた部屋でほかの仕事を任されてたそうな。
今は87歳だけど、腰も曲がってないし頭もハゲてない。
白髪よりも黒髪のほうが多い。

俺が小さい頃はじいちゃんがすっげえたくましくてカッコよく見えたんだが
今となっちゃあ、あのかっこいいじいちゃんが
俺よりかも身長がちっちゃくなった。
最近からヨボヨボしくなってきたんだよなあ・・・
長生きしてねおじいちゃん



>>20
じいちゃんカッコヨス…捕虜になるとかどんな気持ちなんだろう
じいちゃんたちまじで尊敬するわ




22:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:06:31.79ID:37uIRd7AO
そういや友達のじいちゃんもシベリア行ってたんだけど抑留中の仕事が「給食係」
めちゃくちゃ楽な仕事ラッキー!って思ってたらしいw




23:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:09:08.50ID:OjBni+360
詳しい話は聞いてないけど
ひいじいちゃんに聞いた話だが
戦闘機に乗ってたらしい
だから今でも飛行機とか嫌いだって言ってた
今96才くらいだけどまだまだ元気だよ!
呆けてるから5月にお年玉もらったけどww


>>23
うちのばあちゃんも飛行機嫌いだわ
96才ってすげーな!戦闘機乗ってて無事帰って来れたのか



25:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:14:40.25ID:4AjDFj8Z0
福岡県の東部の海軍航空隊があった町なんだけど
動員されて、竹で、戦闘機の偽物必死に作ったらしい。

紺色の艦載機が、生徒が必死に作った偽物をよけて
本物の戦闘機のみを掃射破壊していったらしい。

アメリカ人ってやさしいんだね。




26:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:23:26.83ID:37uIRd7AO
>>25
そんなこともやってたんだな
アメリカ人、やさしさからなのか弾を無駄にしないようになのか分からんけど前者だといいな
うちのばあちゃんも竹槍持って「エイヤー!」つって一生懸命練習してた話とか聞くとなんか切なくなる




27:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:24:04.68ID:wTMSd5LF0
俺も詳しい話はないけど少し
俺のじいちゃんは何で戦争に行ったかというと、
「どういうことかわからないが、日本が大変なことになっているから」
だったそうだ。軍隊はすごく厳しかったらしい
そんで行先は南方。だけど1とは違って、みんな死ぬときは「お母さん」って言って死んでったそうだ
その時のことはあんまり詳しく聞けなかった
結局、じいちゃんは銃弾で片頬えぐられ、腹刺されてマラリアにかかった
見つけられたときはもう死んでると思われたらしい
それで運よく日本に送り返されたそうだ
あとこれは別のおばあちゃんの話だけど、
竹やり訓練で呼び出されて、近所の女の人たちで「やー!!」とか練習したらしい。
そん時おばあちゃんは、
「ああ、日本はもうだめなんだな」
と思ったんだって



>>27のじいちゃんはそんな大怪我して生きて帰ってこれたの?



30:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:38:33.95ID:wTMSd5LF0
うん、奇跡的に回復したらしい
でもかなり苦労したみたいだよ。日数が足りないかなんかで恩給だっけ?それ貰えなくて
ばあちゃんと二人で、茶碗と箸しかないような状態からがんばったそうだ
じいちゃんは穏やかで優しい人だったよ




28:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 19:27:39.46ID:VsQE/NCo0
ばあちゃんが風船爆弾作ってたとか言ってたな

huusen



40:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 21:45:12.81ID:ZNw4jIBr0
このスレで思い出したけど、俺のひい爺ちゃんはミッドウェー海戦で亡くなったというのを聞いた…
その後の日本を知らないだけまだ幸せだったのかもしれない




41:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 21:50:40.61ID:wOD/J8NU0
原爆落とされて気を失って、どのくらい気絶してたかわからないけど目が覚めたとき、辺り一面真っ白だったんだって。
なんだろうって思ってよくみたらそれ全部ウジ虫だったって話は聞いたことある。




44:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 22:24:42.93ID:1gbdkBuX0
うちのばぁちゃんは北海道・小樽のほうにすんでたんだけど、
年頃の娘さんのいる家に「まもなく北方へいくんだが泊まるところがなくてry」と
未婚の兵隊さんを預かるように~みたいなお達しがでたんだと。もちろん結婚目的。
兵隊さんのほうから言い出すわけにはいかないので、親御さんが「もしよければウチの娘をry」
って言われるのをずっと待ってたんだと。
で、ばぁちゃんの母が絶対結婚を許さないので兵隊さんは幾日も家にいたらしい。
でもまぁ痺れを切らして近所の家に引越し(?)無事その家の娘さんと結婚したそうだ。

余談だがばぁちゃんの母の束縛は相当ひどかったらしい。




45:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 22:38:26.38ID:qFrGX1psO
詳しくは知らないけど私の祖母の歳の離れた兄弟達が戦死したと母から聞いたな…

祖母から戦時中の事を聞いてみたいけど、聞いて良いものなのか躊躇ってしまう
「戦争中の事教えて」といきなり聞いてみても良いものなのか…




46:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 22:43:56.66ID:79EnQ5S30
電車で隣に座った婆ちゃんから聞いた話だけど。

戦争開始直後は、軍隊かっけえ、て感じで新聞も国民も盛り上がってたって。
負けることなんてのは、考えもしなかったらしい。




54:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 00:19:12.54ID:gcTSU80O0
曾祖父が硫黄島で戦死したらしい。
遺骨は勿論戻ってきていない。




60:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 01:45:13.59ID:HLgBWUPCO
>>54
硫黄島か…

硫黄島の戦い
(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい、Battle of Iwo Jima, 1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はデタッチメント作戦(Operation Detachment)。

日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等[3]の合計)実数が日本軍を上回った稀有な戦いであり、また、硫黄島上陸後わずか3日間にて対ドイツ戦(西部戦線)における史上最大の上陸作戦・ノルマンディー上陸作戦における戦死傷者数を上回るなど、沖縄戦とともに第二次世界大戦屈指の最激戦地のひとつとして知られる。


64:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 07:49:59.61ID:uLprzAyH0
詳しくは聞いてないが、母の叔父が軍艦に乗ってたらしいんだけど
フィリピン辺りで艦砲射撃にあい船と一緒に沈んだらしい。




68:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 21:55:32.21ID:KwuBVwxu0
父方の祖父は、南方で戦死したということになっていた。
俺も長年、そう思ってた。

が、最近叔父がどこぞに問い合わせて調べたところ、
戦地に到達してなかったらしい。
どうも戦地に行く途中に乗ってた輸送艦が撃沈されて死んだらしい。




65:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 08:50:05.74ID:TBdN9+400
空襲で一家全滅した家を、朝鮮人が占拠してしまったそうだ
田舎の婆ちゃんも、東京の婆ちゃんも、同じこと言ってた




66:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 21:28:46.09ID:M7ZokAvQO
ぐっと来るね…




5:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 18:27:00.74ID:B8On+2cd0
うちは父方がそろって海軍軍人、戦後も海自だったからネタは多いぜ。


>>5
オナシャス!!



33:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 20:11:56.84ID:B8On+2cd0
祖父ちゃんは重巡の航海士。目の前で主砲塔に直撃弾を受けて、ギリギリセーフで助かったらしい。(頭のすぐ後ろの壁に破片が突き刺さったと)
その時の主砲塔の破片を今でも大事に交通安全のお守りに入れてる。
あと祖父ちゃんの妹の婿が天一号作戦の時に参加した駆逐艦の艦長だったくらい。


>>33
恥ずかしながら天一号作戦よく知らなかったからググったよ
これって燃料は片道分しか用意できないけどわかってくれ、みたいな命令が出たやつかな?
ということは妹さんのお婿さんは亡くなられたの?

菊水作戦
(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期、連合国軍の沖縄諸島方面への進攻(沖縄戦)を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦である。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。

作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。



37:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 21:16:55.56ID:B8On+2cd0
実はへそくり燃料を搭載して満載だったらしいけどね。世間では大和の水上特攻なんていわれてる。
ちなみにちゃんと生還した。
あと祖父ちゃんの話はレイテ湾海戦。もし祖父ちゃんが栗田艦隊という所じゃなくて西村艦隊ってのに属してたら、破片がちょっとずれてたら自分は生まれてこなかったなと。


>>37
生還したのかよすげー!
すごい血筋に生まれてるんだな



52:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 23:54:44.92ID:B8On+2cd0
海に投げ出されたらしいけどな。
おかげでうちの人間は俺を含めて水泳の類は徹底して叩き込まれたwww




38:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 21:19:05.45ID:IEUiYCJe0
うへぇ、レイテか・・・

レイテ沖海戦
(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)とは、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン及びフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍との間で交わされた一連の海戦の総称。日本側とアメリカ側の主攻目標が共にレイテ島(レイテ湾)であったことから、この名が付けられた。比島沖海戦もしくはフィリピン沖海戦 (2nd battle of the Philippine Sea) ともいう。本海戦を細分化すればシブヤン海海戦 (Battle of the Sibuyan Sea)、スリガオ海峡海戦 (Battle of Surigao Strait)、エンガノ岬沖海戦 (Battle of Cape Engano)、サマール沖海戦 (Battle off Samar) の4つの海戦からなるが、戦局に与えた影響や評者による議論の仕方によっては事前の様々な背景が採り上げられることもある。

損害
日本側
航空母艦4
戦艦3
重巡洋艦6
軽巡洋艦1
駆逐艦6沈没など

アメリカ軍側
航空母艦1
護衛空母2
駆逐艦2
護衛駆逐1沈没など 


39:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 21:43:04.07ID:B8On+2cd0
>>38
うん、レイテ。
しかもサマール沖まで行ったらしいから砲弾飛び交い、爆弾が落ちる相当の激戦だったみたい。




80:1/2:2012/07/04(水) 16:03:31.12ID:Okf2ImGeO
うちのじいちゃんは自班の状況報告係だった。本部に班状況を報告して戻ったら自班が全滅させられてた。
結局シベリア出兵まで行かされて、凍傷しかけながら毎日働いて、日本に帰れるってなった時も全員一度に返されるんじゃなくて定員数があって、帰れる人と帰れない人が居たって言ってた。帰れる前に死んだ人も沢山居たって。




81:2/2:2012/07/04(水) 16:06:12.25ID:Okf2ImGeO
じいちゃんは皆を先に帰して最後まで残ったんだってばあちゃんが言ってた。戦争から帰ってきたら人が変わったように暴力的になってしまったけど、仲間にはとても優しかった、って。
昔はじいちゃんの戦友さんが遊びに来たり、お墓参りに来てくれたりしてた。

子供の時はすぐ殴る嫌なじいさんだと思ってたけど、今はじいちゃんの凄さを尊敬してる。




82:名も無き被検体774号+:2012/07/04(水) 17:58:28.55ID:2ubmNnAU0
>>81
乱暴になってしまったのは、戦争の辛さを身をもって体験してしまったからかな…




83:名も無き被検体774号+:2012/07/04(水) 19:45:03.16ID:mYGDWiG90
俺の親父のおじさんは戦闘機乗りだったが、部下を虐めまくってたks教官に訓練中に空中で乗ってた機体ごと突っ込んで教官もろとも死んだらしい。
本当にks教官だったらしく、周りが戦死にしてくれたって。
そんな正義漢が一族にいるって胸熱。




34:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 20:36:10.00ID:ZNw4jIBr0
話が生々しすぎる…




47:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 23:12:03.35ID:IFvIsojz0
うちのじいさんの話
日中戦争で中国にいた時、現地の中国人に風邪薬が欲しいと頼み込まれたことがあったんだと
でも、風邪薬なんぞ軍医が出してくれるはずもなく、困ったじいさんは小麦粉を紙に包んでそれらしく仕上げて中国人に
悪いと思いつつ一安心していたら、後日、「あの薬良く効いたからまた貰えないか」と中国人が再来。

「今更、小麦粉とは言えんし、あの時は焦ったなぁ」と笑いながら話してくれたよ。




50:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 23:29:37.27ID:WOLNMKzX0
俺のオジさん、予科練上がりで一式戦闘機に乗ってたらしいが、話を聞くたびに撃ち落した米軍機の数が増えていくんだが・・・。
大空のサムライ達を超えたわ。




53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/07/02(月) 00:07:43.12ID:A2GfUjoo0
台湾にいたじいちゃん
アメリカの戦闘機から二回機銃掃射されたけど二回とも当たらなかったって
運良すぎワロタwwww
ちなみにパイロットの顔見えたらしい




55:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 00:22:26.64ID:TEaeE2dC0
俺の祖母の従兄弟の話
多分出兵先は南方だと思うが何だかんだでオーストラリアの捕虜となったが
サッカーボールを作れる技術を持ってるのでオーストラリア兵に作ってあげたら大喜びでそれから特別待遇されたって




56:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 00:30:37.74ID:qIBlyrToO
家の玄関に爆弾が降ってきたけど不発だったとか
見知らぬ人達が物々交換を求めてやってきたとか
親戚が特攻隊に入ったけど終戦になって命拾いしたけど軍刀は貰って置いたとか




57:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 00:48:13.98ID:5Xb72v280
うちの祖父も、盆正月に一家が集まったときなんかは、酔って戦争の話をしたな。
「隊長が撃てなんていったって、弾なんてなかったから、構えて撃つ振りだけしてたwww」
「悪い奴もいたもんで、くそみそのついたパンツまで盗む奴がいたwww」
などなど…笑いもひとしきり終わった後で、これまた自衛官の親父が、私を自衛隊に勧誘する。
そんが毎度の定番だった。

そんな祖父も、教えてくれなかったがシベリア抑留だっただしく、ちょっと前に国からの手当ての話があったらしい。
今は寝たきりで、自衛隊を定年退職した親父が介護をしてる。
体の弱い私はというと、自衛隊に行くはずもなく、都会に出てコンピュータの仕事で細々と暮らしてる。

こういう気持ちになるのは8月位なものだったが…季節はずれなスレもあったものだ。




58:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 01:42:17.62ID:HLgBWUPCO
>>57
季節はずれなスレ立ててスマンw
最近ばあちゃんが体壊したり入院したりして、今後貴重な話を聞く機会もなくなるかもと思ってね
みんな戦争の話結構聞いてるもんだね
自分は興味深いからまだあれば聞いてみたい




61:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 01:47:31.11ID:e5s3bQ15O
南の島で食料調達係だった親友のじじさま。
ドリアンを食して『あんな旨いもんがあるのかと驚いた』と言っていた。
匂いが嫌で帰国ギリギリに思い出作りに食べたら旨かったらしいwww

まだまだドリアンが日本でマイナーだったころのお話。




74:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 22:39:35.50ID:r7zyZzzo0
俺のじいちゃんは異常に運が良かったらしい
南方にいってたんだけど、日本が優勢なうちに陸軍経理学校に受かって本土に帰還
以後は輜重隊に配属されたから敗色濃厚になってからも飯に困ることはなかったと言ってた
戦後はかなり苦労したみたいだけど、なんやかんやありつつもそれなりに財産を築き、晩年は幸せそうだった
>>61のドリアンで思い出したけど、貧しい農村で育ったじいちゃんは初めててんぷら食べたとき、「世の中にこんなうまいものがあるのか」と思ったらしい




62:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 03:36:38.47ID:kjSyFRJE0
5年ぐらい前アメリカに行った時、退役軍人から聞いた話をする。
うちのガレージセールに来てた近所の人。

戦後、10代で新潟辺りに派兵されていた。
恋に落ちた日本人の娘がいたが、相手の家族に反対されて結婚はできなかった。
戦後のアメリカ兵はチョコレートを子供たちに配ったりした、みたいな話があったろ?
その話を振ってみると、気まずそうにチョコレートをあげて女を買ってる兵士もいたが
自分はしてない、とか言ってた。
その後は、アラスカ等各地を転々としたそうだ。




69:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 21:57:25.49ID:KwuBVwxu0
母方の祖父は中国へ行っていた。
祖父が母親に語ったことによると、中国兵は馬鹿なのか人殺しがいやなのか、
こっちではなく天に向かって発砲していたと。




71:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 22:10:21.50ID:KwuBVwxu0
妻の母方の祖母は4人姉妹だった。
敗戦後進駐軍がやってきて4人姉妹大ピンチ。
銭湯に行くときも男の服を着て、スネークのように隠れながら移動したとか。

俺の父方の家系はわけわからなくなって、曽祖父の再婚相手の弟(妻と死別・連れ子あり)に、
23歳で寡婦となった祖母が嫁いだ。
中学生くらいになるまで、誰と血が繋がってるのか良く分からなくて、
まあ実際、繋がってても繋がってなくてもみんな大好きな
爺ちゃん婆ちゃん叔父さんだった。




75:名も無き被検体774号+:2012/07/02(月) 22:46:20.47ID:rGNP1Yl40
じいちゃんの話
戦争ではトラック諸島とやらに行ってたらしい
んで終戦後東京でGHQの仕事をしてて
黒人と意気投合して遊び回ってたが、その黒人とGHQのトラック横転させてぶっこわしてしもた
逃げてそのままにしたらしいけど、つい2ヶ月前の死の直前まであれ請求くるかもしれんって
ずーっと心配してたw




78:名も無き被検体774号+:2012/07/03(火) 12:11:05.06ID:iX+T7vU7O
うちのひいじいちゃんとひいばあちゃんは海苔を作る仕事してたんだけど、ある時船で海に出て海苔とってたら空襲警報が鳴ってB29が飛んできた
周りに身を隠す所がなかったからじいちゃんばあちゃんは必死に岸壁に身を寄せて、上から見つからないように息を潜めて何とかやり過ごしたらしい
文にしたら大した緊張感はないかもしれないけど、自分がそんな立場になったら怖くてチビるな




84:名も無き被検体774号+:2012/07/04(水) 19:53:59.81ID:h0oMTo4w0
おじいちゃんが南方にいたときの話
じいちゃんは部下たちにバナナを食べさせてあげたかったんだけど
軍隊の規則で、食後のデザートなんて贅沢品が支給してもらえるわけがなかった
苦肉の策で献立の内容をバナナの味噌汁にして、食事に必要な食材ということにして支給してもらったらしい
でもそんなゲテモノ食べるはずがないというのは上官も当然分かるから、後で上官がニヤニヤしながら「バナナの味噌汁はどうだった?」と聞いてきたそうな




36:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 21:14:59.75ID:BYLU2wqb0
瀬戸内には、毒ガス製造してた島あるぞ。
無人島だが、未だに漁師ですら近づかん。




42:名も無き被検体774号+:2012/07/01(日) 22:18:49.07ID:IFvIsojz0
>>36
大久野島ならウサギだらけのウサギ好きにはたまらん島になってるぞ

あと国民休暇村もある観光地だ

ookuno
大久野島



86:名も無き被検体774号+:2012/07/05(木) 23:27:33.75ID:z0dKeyBX0
俺のじいちゃんは戦時の話を全くしなかったわ
ばあちゃんからは原爆の話を聞いたが




91:81:2012/07/06(金) 11:21:44.58ID:KdmY14RfO
>>86
うちのじいちゃんも全然話さなかったよ。

でも小さい頃たまに、二人で冬の寒い日に灯油ストーブで暖まりながら餅焼いてたら、思い出したように少しだけ話してくれた。

じいちゃんには4人お姉さんがいたけど、その婚家先でも何か嫌な事があったらしく、うちの母ちゃんがうちに嫁にきた時は、すぐ養子縁組しなさいって言ってたらしい。

きっと辛くて想像も出来ないこと沢山経験したんだと思う。




93:86:2012/07/07(土) 01:17:57.53ID:fARUrNzZ0
>>91
今思えば話さなかったんじゃなくてとても話せなかったんじゃないかと、思う。
731部隊に所属してた、とかで

ばあちゃんは広島の工場で働いてたが
8月6日は本当にたまたま腹痛でその日の勤労を休んだおかげで
原爆投下から免れた、と聞いた
出勤してた同級生の大半は死んだらしい




87:名も無き被検体774号+:2012/07/05(木) 23:30:00.08ID:qTCm2CRs0
母方の祖父

海軍航空隊。でもパイロットではなかったようなので整備担当か。詳しくは不明。
ラバウルを中心に南方に出ていたが、敗戦濃厚になるころに本土へ帰還。
九州の基地にいたが、連日空襲を受けていた。飛行機がまだたくさんあることを見せつけるのと、
本物を隠すために木などでハリボテの飛行機をつくって駐機場に並べたんだと。

ある時空襲を受けて、グラマンが機銃掃射をやりだした。
祖父は防空壕から離れたところにいたので、同僚2人と横に並んだ形で走って防空壕へ逃げようとした。
しかし後ろから敵機。もちろん追い付かれて機銃掃射を受けた。
3人並んで祖父は真ん中。両端の2人に弾が命中。そのうちの一人は頭に弾が当たったのか
脳みそがまるごと吹っ飛んでいったのが見えたと。そして地面に落ちたと思ったら
まるで脳みそが意思を持っているかのようにジグザグに動いたのが見えたらしい。
生きた心地がしないまま、祖父はなんとか逃げ切ったそうだ。

というのを祖母から聞いた。祖父は戦争中の詳しい話はしてくれなかった。
ただ、零戦という戦闘機の存在だけ教えてくれた。




88:名も無き被検体774号+:2012/07/05(木) 23:37:56.84ID:qTCm2CRs0
↑の祖父の弟
陸軍で、ビルマ戦線へ。ビルマで戦死したが、遺骨は戻らず。
わずかな爪と、死んだ場所にあったという石ころだけ戻ってきた。
骨壺は空のまま墓へ埋めたらしい。

先日、実家で昔のものを整理してたら手紙が出てきた。
祖父弟が所属してた部隊の中尉から。戦死した時の様子が細かく書かれていた。
敵陣地を攻める途上、敵弾を右胸に2発右胸に被弾。一発は貫通。一発は盲管。
最初は意識があって手当もしてたが、傷は思いのほか深く数時間後に死亡。

時期・場所なども書かれていたので調べてみたらどうやらインパール作戦の初期だったようだ。
殆どが餓死・戦病死だったこの作戦で、敵弾に斃れたというのは珍しいのかもしれない。
もちろん手紙の内容が本当なら。




89:名も無き被検体774号+:2012/07/06(金) 00:20:22.84ID:oiZfsQMX0
>>88 牟田口他、陸軍の無能な指揮官のせいで何万もの人が無駄死にしたんだよね…

現代では、史上稀に見る愚将として有名。あまりにも盆暗で、日本兵からは「鬼畜牟田口」「無茶口」と罵られた。
終戦後に戦犯として捕まったが、無能さを理由に不起訴処分となったほど。
駄目な日本軍人を語る場では必ずと言っていいほどこの人の名前が出てくる。

彼の愚将としての評価を定着させたエピソードが、日本軍が大敗したインパール作戦である。作戦を立案した際にも、補給が出来ない事が理由で、参謀長や指揮下の師団長などのほぼ全員が反対、にも関わらず主張を変えなかった(そして、反対派の参謀長を更迭してしまった)。その主張の内容は、つき詰めていえば「イギリス軍は弱い、必ず退却する。補給について心配するのは誤りである」。


90:名も無き被検体774号+:2012/07/06(金) 00:34:49.03ID:3ahr+0OWO
うちのじいちゃんはシベリアに抑留されてた
詳しく話を聞いたことはないが本当にロクな食事が与えられなくて
キャベツの芯をみんなで取り合ったこともあったそうだ




99:名も無き被検体774号+:2012/07/08(日) 16:29:08.77ID:1v0an4Cu0
食べるものが少なかったからセミをとって唐揚げにしてたらしい




96:名も無き被検体774号+:2012/07/07(土) 20:28:56.04ID:IBjjeiKDO
みなさんみたいな話はないけど、ばあちゃんとご飯食べながら戦争の話聞いた時に、

「食べるもんがなんもなくてお腹が空いて死にそうなのより、お腹がいっぱいなのにもっと食べろって言われる事の方がよっぽどか悲しいなあ……」

って残してしまったご飯を見ながらしみじみと言っていたのが忘れられない。




97:名も無き被検体774号+:2012/07/08(日) 02:27:29.65ID:NHXYV4zG0
十年以上前に死んだ祖父は、南方で新聞記者をしていた。兵隊ではないと思う。多分
接点はあまりなかったから又聞きだけど戦地の話は殆どしなかった。
一人で部屋に引きこもってブツブツいったり寝相がひどかったり(目つぶったまま暴れまわるレベル)意味不明な理由でブチ切れたりと変な爺さんだったらしい
でも今思うと戦争の後遺症だったのかな




98:名も無き被検体774号+:2012/07/08(日) 02:35:41.23ID:NHXYV4zG0
あと曾祖父一家は広島で割と大きなお店切り盛りしてたけど、原爆でお店もろとも灰になっちゃった
骨も残らなかったらしい
九州から広島入りした若かりしき祖母が土地の区画を守るため紐で所有地を囲って回った
それくらいかな




102:名も無き被検体774号+:2012/07/10(火) 20:49:20.63ID:b9g9VJOx0
うちのばあちゃんは打ち上げ花火の音が嫌い。
何故なら戦争中の爆撃の音に似ているからだそう。
だから花火大会には行かないし、打ち上げ花火が家から見えていても、見ない。




105:名も無き被検体774号+:2012/07/11(水) 17:57:54.88ID:gyy1jdp+i
曾祖父が職業軍人らしくて、満州にロシアが攻めてくる直前に情報を得て日本に帰って来たのだとか。
婆ちゃんは満州で割と贅沢な暮らしをして居たそうな。


仮に曾祖父が軍の下っ端だったらシベリア送りにでもされてたのかな・・・




94:名も無き被検体774号+:2012/07/07(土) 16:55:16.76ID:irX+sk1g0
俺の爺ちゃん陸軍でいじめられてたんだって
大津の事件みたいにフルボッコにされてたんだそうだ
年下の後輩にまでやられてたみたい

ああ俺は爺ちゃんに似たんだなあって心底思った




104:名も無き被検体774号+:2012/07/11(水) 17:38:43.49ID:w8keiJA20
なんだろう…
ここみてると自然と涙が…





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